夢見りあむお気持ち表明採点botとお気持ち表明を見たときに感じたことをちょっとだけ書きたい。

 夢見りあむお気持ち表明採点botを、お気持ち表明を見たときになんというかちょっとした違和感を感じた。

 「自分はそういうお気持ち表明をするほどの感情がないのではないか?」

 「自分は何かを残したことはあるのか?」

 そう思ったから書き連ねているだけである。

 スタンスがこうだと書いているだけである。

 これを書いて、感情を整理したら多分二度と読まないだろう。

 

――

 

 自分もなにか発信したほうがいいんじゃなかろうか、とふと考えたときに、自分が表

明できるような気持ちが何もなかった。

 改めて考えて特に何も感じていない自分に驚いた。

 いや、正確に言えば第6回総選挙CDのみボイスドラマがない事に憤ったくらいだった。

 それすらもこうやって書くことで思い出したくらいだ。

 ボイスドラマの一件とそれ以外、何が違うんだろうか。

 

 多分、ボイスドラマで憤って以降期待していないからだと思う。

 無関心すぎたからだと思う。

 もちろん、アイマスは嫌いじゃないし、新規SSRやサプライズボイスが来ればちょっとはテンション上がる。ましてや叩いたり馬鹿にするほど堕ちちゃいない。

 ただ、なんというか他人事という目で見ている自分がいる。

 

 第六回の結果が出た時、ボイスドラマでどのような話が展開されるのか考えていた。

 どういう絡みになるのか楽しみだった。だからこそ、ボイスドラマがないことが心にきた。

 だから期待しないことにした。

 

 期待はしているうちはプラスだが、期待はずれになればマイナスにもなりうる。

 無関心でも、ゼロからマイナスやプラスになるが、その振れ幅は期待したときよりも確実に小さい。

 だから、心の平静を保つために期待していない。

 

 そして、自然に忘れてしまえるまで何もせず、放置していた。

 その時持っていた感情から逃げて、感情が大きくなるのを防いで。

 

 期待はせず、でもけして叩かずという距離だからこそきっと何もお気持ち表明をするほどの感情が生まれないんだと思う。

 期待はずれで感じる感情を生ませず、生まれたとしても触れないことで増幅させず、自然消滅させていたからお気持ちを表明することもなかった。

 

 でもそれでいいんだろうか?

 負の感情を持たないようにするということは何かと向き合わずに逃げているんじゃないだろうか?

 その「何か」はわからないし、わからないでいたほうが幸せなのかもしれない。

 でも、知らないよりかは知っている方がきっとこの感情にも説明がつくかもしれない。

 

 

 普通のプロデューサーはどう考えているのだろうか。

 自分の内面にある負の感情をどう感じているのだろうか。

 

 自分にはわからない。

 また、この「わからない」から逃げ出すと思う。

 

 きっと明日にはまた負の感情から逃げて塞いで自然消滅させると思う。

 でも、なにか、ここに書いたという事実が何かあったときの役にたてばいい。